大会の記録1991-2010

第44回

1991年(平成3年)11月8-9日 大阪府立大学 学術交流会館

  • ソクラテスの無知の知(田中龍山)
  • ロックの道徳論(奥野文夫)
  • J・ロックにおける道徳と政治(村上弥生)
  • ヘーゲル倫理学の原点──『人倫の体系』にみる労働観(徳永哲也)
  • ヘーゲル『精神現象学』における「道徳性」の問題──「人倫」と「道徳性」の関係をめぐる問題(鮒村忠志)
  • ヘーゲルにおける「道徳性」の「人倫」への移行の問題(石井基博)
  • ライプニッツにおける「可能性」と「価値」の問題(松王政浩)
  • フッサール他者論の可能性(副島猛)
  • ニーチェの「無条件的な」無神論について(稲留憲治)
  • ハイデッガーにおける「形而上学の克服」(吉本浩和)
  • 精神分析における治療関係のあり方──J・ラカンによる創造的次元と象徴的次元の区別(田村公江)
  • シンポジウム 自由と平等(浅野遼二、田端信弘、長岡成夫)

第45回

1992年(平成4年)10月30-31日 新潟大学 医学部有壬記念館

  • カント批判哲学における関心概念の意義(白水士郎)
  • カントの『人倫の形而上学の基礎づけ』における格率と義務の構造(蔵田伸雄)
  • 最高善の実現可能性に関する一考察(倉本香)
  • スコットランド啓蒙思想における「義務感」(柘植尚則)
  • 道徳の実効性と道徳論──ベルクソンの道徳論から(杉山直樹)
  • 『知覚の現象学』における他性の問題(東昌紀)
  • メルロ=ポンティと他者の問題(加国尚志)
  • フッサールと相対主義(布施伸生)
  • デューイ倫理学における道徳科学の構造(宮崎宏志)
  • 選好による功利主義の定式化とその問題点(江口聡)
  • 存在と思惟──ハイデッガーにおける「移行」について(戸島貴代志)
  • 形而上学は如何に克服され得るか──ハイデッガーの方域思想を巡って(橋本武志)
  • シンポジウム 政治と倫理(西谷敬、石崎嘉彦、平石隆敏)

第46回

1993年(平成5年)11月5-6日 大阪薬科大学

  • 事実と価値のありうべき関係について──パトナムの内部実在論の検討(伊勢田哲治)
  • 宮沢賢治における笑いの倫理(勝道興)
  • サルトルの思想における倫理の位置づけ──サルトル的投企と本来性の概念(沼田千恵)
  • プロティノスにおける美としての善一者について(渡辺華月)
  • ベルクソンにおける神と神秘主義(高橋靖)
  • ベルクソンに見られる自由の議論について(福永俊哉)
  • カントの批判的幸福論(田中朋弘)
  • シェリングとW・F・オットーにおける神話の意義について(橋本崇)
  • フッサールにおける根源的信憑(信木晴雄)
  • ジンメルにおける個性の問題(川本格子)
  • ハイデガーにおける〈技術〉の問題(有馬善一)
  • 「形而上学」のあとの思惟(松本啓二朗)
  • シンポジウム フェミニストと倫理(丸山徳次、伊藤正博、田村公江)

第47回

1994年(平成6年)11月5-6日 岡山大学 文学部

  • ヒュームの道徳哲学(大川繁則)
  • カントの判断論──形而上学的演繹の諸前提(藤原武)
  • ハーマンのヘルダー批判について(斉藤渉)
  • ヘーゲルと「新しい神話」(板井孝一郎)
  • キェルケゴールにおける絶望の弁証法(柳沢貴司)
  • キェルケゴールの「倫理的なもの」──信仰における倫理の可能性(大利裕子)
  • 前期ハイデッガーにおける言語と人間存在の関係について(新田智弘)
  • ハイデガーの死の問題が位置する処(梶谷真司)
  • ハイデガーの思想に定位した世界概念と死の概念の再検討(山本與志隆)
  • ニーチェにおける生成の概念(内藤可夫)
  • 徹底した啓蒙家としてのニーチェ──マックス・ホルクハイマーのニーチェ解釈(藤野寛)
  • AL(人工生命)とその倫理学的展望(大谷岳文)
  • 生命の規範と狂気──カンギレムからフーコーへ(山本学)
  • プロティノスの幸福論における二つの意識について(鷲見淳之)
  • シンポジウム 倫理と宗教(山下一道、桝形公也、池上哲司)

第48回 1995年 (平成7年)

11月17-18日京都教育大学

  • アルベルトゥス・マグヌスのボエティウス解釈──〈善〉(bonum)と〈存在するもの〉(ens)の問題をめぐって(江口克彦)
  • カント実践哲学の批判と受容の可能性(舟場保之)
  • カント哲学における力学的視点(佐藤敦子)
  • ニーチェにおける良心(藤本啓子)
  • 霊魂の不死に関するベルクソンの見解について(本田裕志)
  • 世界と自己──前期ハイデガー哲学における(安部浩)
  • 「善に対する正の優先」というリベラリズムのテーゼと自我の問題(蔵田伸雄)
  • レヴィナスにおける言語と倫理(岡田篤志)
  • 寄生から共生へ──ミシェル・セールの「自然契約」という立場(亀喜信)
  • イリガライにおける性的差異について(勝賀瀬恵子)
  • シンポジウム 環境(松島哲久、柳沢有吾、吉本浩和)

第49回

1996年(平成8年)
11月16-17日
静岡大学 人文学部

  • 啓蒙期フランスにおける理性と信仰──モーペルテュイ、コンディヤック、百科全書派(猪俣雅紀)
  • 『判断力批判』における共通感覚と美的理念──道徳的対話原理の可能性を求めて(松井邦子)
  • 美・善・自然目的の当為と必然性(門屋秀一)
  • 主人と奴隷──ヘーゲルにおけるその哲学的意味(猪倉孝夫)
  • ヘーゲル『宗教哲学講義』新版に関する一考察──一八二一年の序論を中心に(小林亜津子)
  • C・S・パースの「偶然主義」による自由意志の根拠づけの問題について(新茂之)
  • 「社会的なもの」の境位──間主観性とコミュニケイションを巡って(本間直樹)
  • 実践哲学における「合理性」の概念──R・B・ブラントの定義の有効性(奥野満里子)
  • シンポジウム 現代社会と功利主義(加藤尚武、加賀裕郎、北尾宏之)

第50回

1997年(平成9年) 11月15-16日 大阪大学 基礎工学部国際棟。

  • スピノザにおけるコナトゥスと倫理(河村厚)
  • 生命・本能・知性──身体の哲学としての『創造的進化』(川瀬雅也)
  • ベルクソンにおける道徳的価値の創造の問題(中野康次郎)
  • 実体的自我から主体的自我へ──カントの自己認識理論を手がかりに(内田浩明)
  • エンゲルハート『生命倫理学の基礎づけ』の根本課題(加藤剛)
  • フィヒテ哲学における「精神界の綜合」の意義──カントの「目的の王国」の概念を手がかりにして(中川明才)
  • 言葉と疎外、或いは主体の分裂-『精神現象学』「VI-B-I-a教養とその現実の国」の「分裂の言葉」と「無限判断」を軸に(藤田聡)
  • 前期ハイデッガーにおける本来性の問題(三浦摩美)
  • 住まうこととは何か──ハイデガーにおける空間の問題(鞍田崇)
  • 「歴史観」闘争(安彦一恵)
  • シンポジウム「民族・文化・倫理」(志水紀代子、西村誠、藤野寛)

第51回

1998年(平成10年)11月7-8日 甲南大学 10号館南館

  • ハイデガーにおける「不安」の意義(薮内聰和)
  • ホッブズとスピノザ──二つの共同体(柴田健志)
  • スピノザ倫理学における「心身並行論」について(堀江剛)
  • カントの道徳論における「徳の義務」の位置(寺田俊郎)
  • キェルケゴールにおける信の知からの乖離(藤枝真)
  • キェルケゴールにおける言語と伝達の問題(本田誠也)
  • 「誘惑者」としてのテキスト──キェルケゴールの一つの解釈(桝形公也)
  • J・S・ミルにおける快楽の質と選好(鈴木真)
  • マックス・シェーラーの錯誤論──「愛の秩序とその混乱」の一解釈(紀平知樹)
  • レヴィナスの時間論と他者の他者の他性の問題(榊原達哉)
  • シンポジウム 生と死(戸田省二郎、石井誠士、大町公)

第52回

1999年(平成11年)大阪市立大学 学術情報総合センター

  • デカルトにおける「高邁」の情念の形成(柿本佳美)
  • ベンタムの自然権論批判──法実証主義者としてのベンタム(児玉聡)
  • J・S・ミル倫理学説における「性格」概念の意義(馬嶋裕)
  • 意志の二つの階層──形状上学的レベルにおける意志と経験的レベルにおける意志(橋本智津子)
  • 運命愛の「運命」について(溝口隆一)
  • フロイトにおける解釈の問題(総田純次)
  • 寛容と自律の概念(谷本光男)
  • 他者問題に関する一考察──M・ブーバーにおける「原離隔(Urdistanz)」の概念をとおして(今井伸和)
  • 地平と発生論的現象学(宇多浩)
  • 人間の裏面としての歴史──後期メルロ=ポンティにおける人間と歴史(西村高宏)
  • シンポジウム 責任(加茂直樹、石崎嘉彦、佐藤義之)

第53回

2000年(平成12年) 11月11-12日 徳島文理大学 図書館

  • ヒューム道徳哲学における「一般的観点」について(奥田太郎)
  • フィヒテ道徳論における衝動の問題(玉田龍太朗)
  • 古代懐疑主義の神に対する態度ー懐疑主義における行為の問題(田中龍山)
  • ニーチェにおける運命愛と世界肯定(本部直樹)
  • イマージュ概念の射程──ベルクソンによる運動の記述をめぐって(大北全俊)
  • ハイデガーの真理論と自由(鷲原知宏)
  • 倫理空間としての生の世界(工藤和男)
  • 大衆メディア批判者としてのキェルケゴール(江口聡)
  • V・E・フランクルにおける”Bei-sein”の概念について(雨宮徹)
  • ロールズの人間論──原初状態のカント的解釈を中心として(藤森寛)
  • パーフィットとブラントの合理性理論(鶴田尚美)
  • 選好功利主義と人口妊娠中絶(樫則章)
  • シンポジウム 倫理学に何ができるか(丸山徳次、水谷雅彦、霜田求)

第54回

2001年(平成13年)11月10-11日阪南大学 南キャンパス

  • ボイルとロックの性質理論──二人の言説の比較考察(青木滋之)
  • ジョン・ロックにおける「有為的ではあるが自由でない行為」の検討(佐々木拓)
  • スピノザにおける個体性の問題(柴田健志)
  • カント批判哲学におけるカテゴリーの体系(森芳周)
  • イェーナ期ヘーゲルにおける「他者」としての自然(伊藤信也)
  • フッサールにおける「世代生産的」現象学の可能性について(元明淳)
  • 初期デリダ思想の実践的含意(森秀樹)
  • 試みることと失敗すること(神崎宣次)
  • ロールズの功利主義批判と「人格の別個性」(林芳紀)
  • 西田哲学における宋学的倫理観(井上克人)
  • シンポジウム 問題としての民主主義(圓増治之、土屋貴志、松葉祥一)

第55回

2002年(平成14年) 11月16-17日 愛媛大学 城北キャンパス

  • ヒューム『人間存在論』における、感情の対象としての自己観念の形成(會澤久仁子)
  • アダム・スミスの良心論に関する一考察(島内明文)
  • ショーペンハウアーにおける悪と身体性の問題(酒井剛)
  • ショーペンハウアーにおける禁欲jについて(多田光宏)
  • ベルクソンの『創造的進化』における人間の知性(窪田徹)
  • 道徳的知識と行為について(塩出彰)
  • ハイデガーにおける「存在させること(Seinlassen)」の倫理的意味について──真理論の尺度をめぐる解釈を手引きにして(長縄順)
  • ガダマーにおける対話の問題(濱善昭)
  • 全体主義以後の自由論──H・アレントの「政治的な自由の概念」をめぐって(三浦隆宏)
  • システムの倫理学──和辻哲郎とニクラス・ルーマン(山下和也)
  • シンポジウム 「権利」概念の再検討(中岡成文、倉本香、柘植尚則)

第56回

2003年(平成15年)11月1-2日 龍谷大学 大宮キャンパス

  • 知としての諸々の徳は、完全に同一であるのか否か プラトン『プロタゴラス』篇329D4-8(野村昌章)
  • スピノザにおける決定論と意志の原因性 道徳的責任の可能性を巡って(山口尚)
  • 倫的自然の実現 ヘーゲル『自然法論文』における人間的自由の本質の究明(中川玲子)
  • J.S.ミルにおける功利主義 功利主義の諸形態を巡る議論から(山本圭一郎)
  • 形式・形相・形象 ハイデガーのニーチェ解釈とその周辺(入谷秀一)
  • サルトルにおける贈与の問題(沼田千恵)
  • 現象学の文脈からみたレヴィナスの無限の思想(板倉代志彦)
  • 内部告発とはどのような義務か(田中朋弘)
  • シンポジウム ひとはなぜ働くのか(鷲田清一、玄田有史、柿本佳美)

第57回

2004年(平成16年)
11月6──7日
大阪工業大学 創立60周年記念館

  • ベルクソンにおける「想起する努力」と「熟慮」──自由の度合いと関わりから── (内山智子)
  • パースペクティヴは相対主義か?(岡村俊史)
  • トレントフスキ哲学の普遍性とシティズンシップ(オジュグ、タデウシュ・アダム)
  • フッサールにおける目的論的歴史考察と還元の動機(小林琢自)
  • フッサールにおける純粋自我と人格的自我の問題(中村拓也)
  • アレントにおけるシティズンシップの問題(亀喜信)
  • ハンス・ヨナスの責任概念について(吉本陵)
  • ロールズと優生思想──福祉規範の根拠(野崎泰伸)
  • 正義の原理の手続的解釈(藤森寛)
  • 帝国のポリティクスとフェミニズム(大越愛子)
  • シンポジウム 制度としての福祉(鈴村興太郎、徳永哲也、児玉聰)

第58回

2005年(平成17年)
11月5-6日
同志社女子大学楽真館

  • 選択の自由──トマス・アクィナスによる人間的行為の構造において(山口雅弘)
  • デカルトの暫定道徳(奥野文夫)
  • デュルケムの宗教理論──カルト問題を念頭におきつつ(加藤 剛)
  • 自由精神とは何か──『人間的、あまりに人間的』におけるニーチェの自由論(竹内綱史)
  • ミルの「社会的自由」とバーリンの「消極的自由」(杭田浩和)
  • 生きる意味と生の固有性(野崎泰伸)
  • メルロ=ポンティにおける無神論と真正のキリスト教(佐藤勇一)
  • ハンナ・アーレントにおける行為の自己開示と有意味性(嶋本慶太)
  • フーコー『知への意志』における方法(相澤伸依)
  • 「抗争」のなかの固有名(藤井 薫)
  • 生命倫理と人間性の尊厳(クラウス・シュペネマン)
  • シンポジウム 戦争と倫理(太田義器、寺田俊郎、柳澤有吾)

第59回

2006年(平成18年)
11月4-5日熊本大学教育学部

  • 家庭と国家の救済──プラトン『エウテュプロン』における経験の働き(野村昌章)
  • 超越論的現象学における「世代性」概念の再検討-意味の伝達と、生殖による世代形成(前田直哉)
  • 自然状態から国家状態へ──スピノザの感情とホッブズの理性(森 亮子)
  • ハイデガーにおける世界と根本気分(阿部将伸)
  • 理性と他者-スピノザ『エチカ』第四部と『政治論』(柴田健志)
  • 他者の肉/肉の他性(石井達也)
  • 『統治二論』におけるロックの同意論について(小城拓理)
  • レヴィナスにおける主体の受動性(亀井大輔)
  • ヒューム道徳哲学における一般的観点と一般規則(林 誓雄)
  • レヴィナスにおける「身体」(岸田 智)
  • 道徳判断の分析に基づく潜在能力の考察(村上慎司)
  • レヴィナスにおける受動性-『存在の彼方へ』にみる三つの文脈から(西田充穂)
  • 関心・格率・人格-カント倫理学における人格概念の意義(戸田潤也)
  • 目的と有用性:応用倫理学における方法論的プラグマティズムの検討(神崎宣次)
  • 〈学者の自由〉とはなにか?──カントにおける「自由」概念の射程(佐藤慶太)
  • 環境の価値-価値の経済的評価とその問題点(紀平知樹)
  • シェーラー人間学に於ける「人格」概念の価値(窪田 徹)
  • 環境倫理とアニミズム(吉田李佳)
  • レヴィナスにおける疲労と睡眠(庭田茂吉)
  • ワークショップ 水俣病からの問いかけ:水俣病と倫理学(基調講演 宮澤信雄、コメント 丸山徳次)
  • シンポジウム サンクションの可能性と限界(佐々木拓、舟場保之、江口 聡)

第60回

2007年(平成19年)
11月3-4日
京都女子大学J校舎

  • ハイデガーの良心論をめぐる一考察 (田邉正俊)
  • R・ローティの「正義」論 (安部 彰)
  • 『不安の概念』におけるキェルケゴールの「第二の倫理学」の構想 (八谷俊久)
  • 道徳的判断はそれ自体で人を道徳的行為へと動機づけるか──逸脱的事例の視点から──(大石敏弘)
  • カントとJ.S.ミル──黄金律の観点からの比較考察── (井上英昌)
  • A.N.ホワイトヘッドにおける「教育のリズム」の「リズム」性について (遠藤正水)
  • カント自由論における自律的意志と他律的意志について── (太田徹)
  • アマルティア・センの理由/理性(reasons)の概念の精査──スキャンロンの議論を手掛かりに── (村上慎司)
  • 罪の論理と罰の原理──カントの死刑論を巡って── (大谷岳文)
  • 中絶の規範理論のために──「生の無条件の肯定」は中絶をいかに考えるか── (野崎泰伸)
  • 「直観の形式としての空間性」と時間性 (甲田純生)
  • 環境倫理における想像力の次元──ヨナス倫理理想の新しい読みから── (林貴啓)
  • 理性の目的論は普遍的か──フッサールにおける理性への意志をめぐって── (笹岡健太)
  • 自由意志問題における非実在論的解釈の可能性──スミランスキーの幻想主義── (佐々木拓)
  • フッサールの道徳的自我──1920/924年倫理学講義におけるシャフツベリ批判 (島田喜行)
  • 価値の相互承認 (山本真理子)
  • ヒュームにおける社交と会話──情念論からヒューム道徳哲学を読み解くために── (奥田太郎)
  • ディルタイの価値論(大野篤一郎)
  • シンポジウム リプロダクティブ・ライツ/ヘルス
    (大越愛子、松原洋子、森岡正博)

第61回

2008年 (平成20年)11月1-2日京都大学 文学部

  • ホワイ・ビー・モラルに関するゴティエの回答の検討(杉本俊介)
  • 倫理学は規範をどのように問うべきか──規範の正当化主義批判(野崎泰伸)
  • 死者にとって死は悪なのか(鶴田尚美)
  • 功利主義・人命の価値・置き換え可能性(加藤佐和)
  • ハイデッガーと他者を巡って(黒岡佳柾)
  • デリダにおける「神」の問題(亀井大輔)
  • ミシェル・アンリにおける生-の-世界の概念(古荘匡義)
  • 難病を抱えた人の生活世界(山縣弘子)
  • 成人した世界の倫理(池上哲司)
  • ミルの政治思想における「市民」と「参加」をめぐる問題(樫本直樹)
  • 「自由の深淵」はなぜ口を開けたのか──アーレント意志論における<自由>の問題──(三浦隆宏)
  • 自然哲学とそのサブカテゴリーとしての倫理学とは何か──ハンス・ヨーナスの自然哲学と倫理学について(吉本 陵)
  • 日本語の起源からみた古代日本人の意識の二つの方向──生命性と人格性──(芝烝)
  • シンポジウム 感情と共同性(島内明文、吉永和加、松島哲久)

第62回

2009年 (平成21年)
10月31日-11月1日
龍谷大学 大宮キャンパス

  • アンセルムスの意志論に関する一考察(斎藤大樹)
  • アンゲルス・シレジウスの詩に見る否定神学と「コーラ(場)」(斎藤明典)
  • ホッブズ道徳論における責務の問題──コモンウェルス設立のための信約についての考察から(薮本沙織)
  • 人倫的実体の生成──ヘーゲル『精神現象学』「理性」章を中心に(濱 良祐)
  • カントの道徳判断論──判断の包摂モデルにそくして──(永守伸年)
  • ドストエフスキーのカント批判──ゴロソフケルの著作を手掛かりとして──(元春智裕)
  • フッサールにおける動機づけについて──〈補完の要求〉と〈力の強さ〉という観点から──(神田大輔)
  • 表現的世界における製作的自己──後期西田哲学の一考察(田中潤一)
  • 〈依頼発表〉自然的な死と倫理の問題(西谷 敬)
  • セラーズにおける意図の分析について(三谷尚澄)
  • 帰結主義の必要条件とその根拠(鈴木 真)
  • ジャン・ナベールの哲学と悪の問い(山内 誠)
  • 平等権としての中絶の権利──D・コーネルの議論と胎児の生命の問題(笹原八代美)
  • セクシュアリティをめぐって──社会構築主義・本質主義の論争の批判的検討(魚住洋一)
  • シンポジウム 誰が誰をどれほど助けるべきか──グローバリゼーション時代の倫理学──(松葉祥一、樫則章、藤森寛)

第63回

2010年 (平成22)
11月5-7日
南山大学 名古屋キャンパス

  • ワークショップ 非専門場面での哲学・倫理学教育(,長滝祥司、北野孝志、中村拓也、森芳周、徳永哲也、倉本香、田村公江、森田美芽
    )
  • アウグスティヌスにおける意志概念の形成(岡崎隆哲)
  • ライプニッツにおける《passion》概念の射程(梅野宏樹)
  • J・S・ミルの功利主義と直観主義(山本圭一郎)
  • 「生きている私の死」と死後に残るもの──ベルクソンの生の哲学による死の理解(居永正宏)
  • アナロジーによる問いの連鎖とその治療──ウィトゲンシュタイン『青色本』から(中川雅道)
  • 外在性との出会いにおける内在性──E・レヴィナスの場合──(田中優一)
  • フーコーの方法論における主体と身体(相澤伸依)
  • 道徳的責任の諸相──ストローソンの反応的態度をめぐって──(鈴木秀憲)
  • 〈依頼発表〉死生観をめぐる問題──受容とあきらめ──(大町公)
  • 適切な「ケアリング関係」はいかなるものか──ケアリングの倫理における倫理性の根拠をめぐって──(安井絢子)
  • 生命とケアをつなぐもの──ゾーエーとビオスの生命論的差異をめぐって──(高山佳子)
  • 道徳用語の外延が曖昧であることは道徳実在論の擁護に役立つか(有馬 斉)
  • 倫理的意思決定における道徳的想像力の役割(林 貴啓)
  • シンポジウム 動物──倫理への問い(伊勢田哲治、伊勢俊彦、古牧徳生、上野吉一)