大会の記録1971-1990

第24回

1971年 (昭和46年) 10月29-30日 京都産業大学

  • ハードおよびソフト決定論について(田中芳美)
  • 悪について アウグスティヌスの『告白』より(八塚ヤス子)
  • シンポジウム 法と倫理(加茂直樹、野村博、芝烝、鶴田孝、相馬隆治)

第25回

1972年 (昭和47年) 10月27-28日 近畿大学豊岡女子短期大学

  • 若きヘーゲルにおける宗教思想の芽生え(尾崎和彦)
  • ラスコーリニコフの「非常人」思想について(福島正彦)
  • ヘーゲル「人倫の体系」の一考察(鶴田孝)
  • 若きヘーゲルにおけるドイツ革命(田中芳美)
  • シンポジウム 自然と文化(塩出彰、岡昌宏、木下礼仁、石田松蔵)

第26回

1973年 (昭和48年)11月16-17日 大阪薬科大学

  • カントの先験的自由(三谷和彦)
  • カント哲学とマルクス主義 Max Adlerの場合(戸田省二郎)
  • 自然と自由 カント「判断力批判」の問題(八塚ヤス子)
  • 堺化学工業株式会社見学
  • 道徳判断における記述と指図(山内友三郎)
  • D・G・リッチーの自然権論(野村博)
  • グリーンと現代イギリス倫理学(行安茂)
  • シンポジウム 科学と倫理(河井徳治、田中芳美、松原定信)

第27回

1974年 (昭和49年) 11月15-16日 京都家政短期大学

  • フィヒテの啓示批判論(豊田剛)
  • B・ラッセルにおけるいわゆる自然主義について
  • 公開講演会 真・善・美 主として道徳的価値について(保田清)
  • 「神の死」について(森田啓嗣)
  • キェルケゴールの自由概念について(尾崎和彦)
  • ヘーゲル「精神現象学」におけるギリシャ悲劇(鶴田孝)
  • 醍醐三宝院、日野法界寺、黄檗万福寺見学

第28回

1975年 (昭和50年)11月14-15日 京都学園大学

  • フォイエルバッハにおける自然の問題(豊田剛)
  • 近代ユートピア思想の展開(三橋浩)
  • W・ジェームズにおける実在の問題の在処(鷲田清一)
  • J・デューイにおける習慣と道徳的価値判断について(谷口忠顕)
  • ヘーゲル初期神学論集「断片三」の一解釈(安彦一恵)
  • カントにおける自我と自由(小西國夫)
  • シンポジウム 価値と事実(塚崎智、小熊勢記、戸田省二郎)

第29回

1976年 (昭和51年)11月19-20日
滋賀大学教育学部

  • ベルクソンの倫理学(榎本百合子)
  • フッサール「デカルト的省察」第五省察の問題点(鷲田清一)
  • ヘーゲルにおける個人と道徳的自由の問題(尾関周二)
  • ヘーゲルの人倫の哲学(濱谷征彦)
  • 鹿とび、南郷荒い堰見学
  • シェーラーにおける人格の問題(池上哲司)
  • ニーチェにおけるイエス像の問題(伊敷健二郎)
  • シンポジウム 文明と倫理(大町公、鶴田孝)

第30回
1977年 (昭和52年)11月11-12日 龍谷大学

  • キェルケゴールの青年期における問(桝形公也)
  • キルケゴールの生成論(稲村秀一)
  • 心身関係論(長島重次)
  • マルクスの思想の出発点と終点(豊田全)
  • 西本願寺飛雲閣見学
  • パスカルの自然認識(大町公)
  • プラトンにおける愛智(ピロソピア)の倫理的意味(山内友三郎)
  • 日本連邦制国家の構想 国家における倫理性の地盤の回復(芝烝)
  • 教行信証における倫理の問題(山下英智)

第31回
1978年 (昭和53年)11月10-11日 長崎国際経済大学

  • リクールにおける悪の問題(松島哲久)
  • ヘーゲルの『人倫の体系』における方法について(田端信広)
  • 公開講演会 経済と倫理(島芳夫)
  • 九十九島見学
  • アダム・スミスの道徳論(谷口文章)
  • 功利主義における行為の結果(長岡成夫)
  • アレクサンドリアのフィロンにおけるロゴスについて(山崎秋夫)

第32回

1979年 (昭和54年)11月9-10日 大谷大学

  • カントにおける尊敬の感情(佐別当義博)
  • ヘーゲル『精神現象学』における主と奴の弁証法について(石崎嘉彦)
  • シンポジウム 価値と当為(榎本百合子、長岡成夫)
  • ベーメの生涯と内面的神秘説(福島正彦)
  • 仁斎学における「仁」について(森下利明)
  • 初期ハイデッガーの自由の概念 『存在と時間』を中心にして(西村誠)
  • ヘアの負債者について(山内友三郎)

第33回

1980年 (昭和55年)11月7-8日 大阪大学文学部

  • 人格と生世界(工藤和男)
  • フィヒテにおける当為(長沢邦彦)
  • 懐徳堂見学
  • シンポジウム 善の問題について(河井徳治、田中芳美、深谷昭三)
  • 初期ヘーゲルにおける「生」概念(石崎嘉彦)
  • ヘラクレイトスにおけるロゴス(クラウス・シュペネマン)
  • 西田哲学における場所的概念の生成(竹内亨)
  • 稀少性と弁証法–サルトルの残したもの(相馬隆治)

第34回

1981年 (昭和56年)11月13-14日 岡山大学文学部

  • 趣味について–『判断力批判』第22節の選言を巡る考察(西村誠)
  • ヘーゲル『精神現象学』における良心論(隈元泰弘)
  • 閑谷学校、竹久夢二生家、黒田家墓所見学
  • A・シュッツの行為理論–特に生活世界論と関係して(阿部未来)
  • 現象学と実践の問題(丸山徳次)
  • 中世武家社会の族党性と道徳–鎌倉時代を中心に(田中清巌)
  • シンポジウム 近世倫理思想の形成 デカルト、ヒューム、カントにおける理性と情念をめうぐって(西谷裕作、塚崎智、川島秀一)

第35回

1982年 (昭和57年)11月12-13日 立命館大学

  • シェーラーに於ける価値認識への道(水谷雅彦)
  • フッサールにおける生の概念と意志の問題(小椋義明)
  • プラグマティズムと最高善–パースの後期哲学をめぐって(高見保則)
  • デューイにおける価値判断の客観性の問題(加賀裕郎)
  • ウィリアム・ジェームズの真理観について(木村倫幸)
  • 等持院見学
  • ヒュームと「宇宙における意匠」(樫則章)
  • 人間的自由の解明–根源的自由の内在的考察(柴田秀)
  • シンポジウム 現代倫理の課題(安彦一恵、山内友三郎、加茂直樹)

第36回

1983年 (昭和58)10月28-29日 福井大学教育学部

  • 初期ヘーゲルに於ける国家と歴史(平石隆敏)
  • カントに於ける実践哲学の位置–超越論的自由と実践的自由を巡る諸問題について(北尾宏之)
  • ヤスパースにおける「存在の探究」の二つの道(堤正史)
  • J・ロールズの「正義の二原理」–その理論的発展(戸谷良二)
  • 朝倉遺跡および同資料館見学
  • メルロ=ポンティの倫理学的視座(庭田茂吉)
  • メルロ=ポンティの知覚理論について(伊藤正博)
  • フッサール現象学の一考察–彼の「自由の主体としての人間」観をめぐって(三橋浩)
  • 公開講演会(遊亀教授)

第37回
1984年 (昭和59年)11月9-10日 神戸女学院大学

  • キルケゴールにおける愛と実存(森田美芽)
  • S・キルケゴールのDialektikについて(藤野寛)
  • 公開講演会 ニーチェとキリスト教(中村正雄)
  • デカルトの道徳論–『情念論』を中心に(奥野文夫)
  • 神を知る備え–パスカルにおける理性と心情(大町公)
  • ベルクソンにおけるメカニックとミスティックの問題について(松島哲久)
  • 若きフォイエルバッハにおける反ヘーゲルの問題(喜多隆子)
  • フォイエルバッハの「幸福主義」の前提について(亀山純生)
  • フッサールにおける人格の目的論的構造(渡辺英之)

第38回
1985年 (昭和60年) 11月8-9日 大阪産業大学

  • デカルトの道徳と理性(谷本光男)
  • ベルクソンの失語症研究と心・身関係の問題(本田裕志)
  • ヘーゲルの良心論(霜田求)
  • ヘーゲルにおける国家と家族(土屋敬二)
  • カントにおける最高善をめぐって(佐別当義博)
  • フッサール現象学における「神」と「絶対者」の問題(森田安洋)
  • ボルノーにおける存在信頼と希望の問題–ニヒリズムとの関連について(中川吉晴)
  • ピヒトの責任論について(西村誠)
  • シンポジウム 「日本的」とは(芝烝、有福孝岳、小寺正一)

第39回
1986年 (昭和61年)10月24-25日 富山大学教養部

  • シンポジウム 職業の倫理(戸田省二郎、佐伯敬夫、西谷敬)
  • シェーラーにおける人格と知識について(田辺正彰)
  • フッサールとレヴィナスにおける責任の問題(和田渡)
  • ヤスパースの政治哲学(寺脇丕信)
  • パースにおける規範学の問題(渡辺啓真)
  • デューイ「自然主義的倫理学」の構造(立山善康)
  • 「正しいものは幸福か–プラトンとヘアー」(山内友三郎)

第40回

1987年 (昭和62年)11月13-14日 同志社大学 今出川キャンパス

  • 大学の自律性の根拠についての一試論(秋山博正)
  • 精神分析における幼児期のとらえ方(田村公江)
  • 現実性の相関項としての「信」とその原型–現象学的エポケーの実践哲学的可能性に対する一試論(林克樹)
  • パスカルの「心」(児玉正幸)
  • ベルクソンにおける道徳の問題(荒木秀夫)
  • 新島襄旧邸見学
  • ウィトゲンシュタイン倫理学の展開(柴田啓文)
  • ヒュームの共感論(高原雅人)
  • シンポジウム 行為の問題(冨田恭彦、鷲田清一、三橋浩)

第41回

1988年 (昭和63年)11月12-13日 金城学院大学

  • アリストテレスにおける「賢慮」(プロネーシス)と「賢慮あるひと」(プロニモス)(大鳥居信行)
  • 山鹿素行の「易」理解(坂下敏子)
  • デカルトにおける「高邁」の問題–欲望統御の可能性(宮崎隆)
  • 〈表徴〉としての信仰説得(中垣晃一)
  • ベルクソンにおける持続と知性(亀喜信)
  • 徳川美術館見学
  • カントにおける道徳性の探求(前田義郎)
  • 後期ウィトゲンシュタインにおける「規則に従うこと」の意味するものについて(林泰成)
  • 普遍化可能性と批判的道徳的思考(樫則章)
  • シンポジウム 道徳教育(山内友三郎、船田民雄、村上敏治)

第42回
1989年 (平成元年)10月27-28日 京都大学 楽友会館

  • トマス・アクィナスのボエティウス解釈–『デ・へブドマディブス』における善性(bonitas)の問題をめぐって(江口克彦)
  • パスカルのデカルト理解(宮永泉)
  • 『知覚の現象学』における「前人格的実存」の問題(佐藤義之)
  • リクールにおけるイデオロギー批判の問題(池田清)
  • レヴィナスの倫理思想(庭田茂吉)
  • 京都大学博物館見学
  • 超越論的自我と他なるもの(倉光隆志)
  • マックス・シェーラーにおける人格の概念(柳澤有吾)
  • 明治時代におけるキェルケゴール受容(桝形公也)
  • シンポジウム 正義論(塩出彰、豊田剛、行安茂)

第43回

1990年 (平成2年)11月10-11日 松阪女子短期大学

  • ニーチェ「永劫回帰」の体験における主体性の問題(勝道興)
  • 大正デモクラシー期における吉田惟孝の道徳教育(三島彦介)
  • 『判断力批判』と規則の問題–カントの方法の現代的意義(八幡英幸)
  • フッサール現象学における価値の構成について(高橋好美)
  • 本居宣長記念館と齋宮歴史博物館
  • 『情念論』における他者の問題(望月太郎)
  • ベルクソンにおける自由の問題–意志・知性・そして感情(加藤憲治)
  • メルロ=ポンティにおける自由の概念–四〇年代未刊草稿に基づいて(松葉祥一)
  • シンポジウム 生命と倫理(樫則章、本田裕志、谷本光男)